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05.04

そうだそうだ、また忘れちゃう前に書いとこうかな。
機会があって、ゴッホについて勉強しなおしたので、その時思ったこととか改めて知ったこととかです。

ゴッホってとても有名な画家ですよね。
日本でも人気が高くて、保険会社とかがバブル期にがんばって絵購入してたり、CMにも使われるから子供でも知ってるほど。
耳を切り落とした~とか、拳銃自殺を図った~とか、激情にまかせたエピソードも多い。
転げ落ちるようにドラマチックな人生。
だからかもしれませんが、なんとなく今まで身近すぎる気がして、積極的に調べたりはしなかったんですよね。たいていのことを知った気でいたと言えます。
弟の支援を受けていた~とかそういうかれの画業に携わることばかりに目が行って、彼の絵をしっかり自分の目で見れていなかった気がする。せっかくオルセー美術館でゴッホのコーナーは見れたのに。今になって思うと、ミレーと同じくらいしっかり見ておくべきだった!

所以あって、古書店でゴッホに関する書籍を探していると、小学館が発行している立派な画集が、解説付きで、元値の3分の1くらいで売っているじゃありませんか…。
なんだか「買え。いいから買え」って言われている気分になったし、安かったしで、迷わず買ってきました。
そこにあったのは、私の知らないゴッホのたくさんの絵でした。

祖国オランダで画商の仕事から始めたゴッホは、途中牧師を志すも献身的になりすぎて資格をはく奪され、傷心の中、旅をする途中で画家になろうと決意します。テオドルス(弟)の支援と賛成に後押しされて、祖国でまず農家や農作業用具から描き始めるゴッホ。油彩を使おうにも、当時の画家と比べると使いきれていないつたなさすらうかがえます。見る人が見ればちょっとおかしなデッサン。あこがれのミレーと近しい主題で、あくまで写実的であろうとした日々。
修行を経て、ベルギーへうつり、ゴッホはいよいよパリへ足を踏み入れます。
ゴッホはロートレックやベルナールらと交流をしながら、さまざまな人物・文化に触れ、新しい視点を吸収します。
ですが、そういった日々も長くは続かず、都会の生活に疲れたゴッホは南仏・アルルへと移住することに。
アルルの自然に魅せられたゴッホは、この地で数多くの名作を残すことになります。

…この後はみんながよく知るゴーギャンとのアレとか精神病院でのソレとかがあり、最後ゴッホはテオに看取られて亡くなります。画家を目指したのが27歳。享年37歳。10年の画業で売れた絵はたったの1枚だけ。

絵という世界、芸術という世界では、一般的に画家自身が賞賛されます。もちろん、画業自体は彼らの功績です。それは彼らが好きで、挑みながら続けなければ生まれはしなかったでしょう。
ですが、ゴッホを含め、一部の画家は違います。彼らには「自分の絵が後世に残らなかった可能性さえある」のです。こうして現代に多く残されているのは、奇跡に近いんです。
その奇跡を起こした人こそ、ゴッホについていえば弟のテオと、その妻ヨハンナでしょう。

ゴッホがテオにかけた負担というものは、図り知れません。絵の具代はもちろん、旅費、滞在費、生活費…また、ゴッホが周りとうまく人間関係をつくれなかったため、生んでしまった軋轢の処理もしていたでしょう。経済的にも精神的にも、テオがしょい込んだものは大きかったのでしょう。
ゴッホが耳を切り落とした事件のあと、テオはヨハンナと結婚しています。これがおそらくテオの初婚です。今まで結婚もせず、兄の世話ばかり焼いていたテオがなぜ結婚したのか。勝手な推察ですが、テオ自身の精神の疲弊が考えられます。兄は経済的にも自立できず、周りと問題を起こしてばかり。尻拭いにも、この時さすがに嫌気がさしたのではないかと思います。テオは、今度は自分を誰かに支えてもらいたかったのでしょう。
しかし、ゴッホが精神病院に入院したあとも、二人は手紙のやりとり、仕送り、そのお礼の油絵を送りあうことをやめたりしませんでした。

テオのこの無償の家族愛は、いったどこから来たのでしょう?
そこには諸説あり、わたしも彼らの手紙のやりとりをまとめた書籍を読んでみなければ分かりませんが…想像するに、彼らはただの仲の良い兄弟ではなく、お互いが最高の理解者だったんだと考えられます。
ゴッホは、その行動の結果だけを見てしまえば「激情家・変わり者・不器用な天才・孤高」といったイメージがまとわりつきます。ですが、ゴーギャンと仲たがいした後も描く絵の色彩は理性を失っていません。自画像の配色は、きちんと補色を使って描かれている。サン・レミで描かれた数多の絵画群にも、宗教性が隠されていたり、何かを暗示するようなサインを随所ちりばめてある。
テオはそういうゴッホの独自の知性に惹かれ、存命時の唯一無二のパトロンとなる道を選んだのでしょう。
家族のだれもが見限ってしまった、3番目の兄を、誰よりも慕ったのです。

ヨハンナは、テオと結婚したものの、その稼ぎの多くを義兄であるゴッホに持っていかれてしまい、たいそう不服であったことでしょう。テオの家計は火の車。義兄に絵を描かせないよう詰め寄ったかもしれません。世話などやめてしまえと憤ったかもしれません。ヨハンナは、決して受け入れてばかりではなかったでしょう。
ゴッホが亡くなった後、テオは自身も精神を病み、衰弱死してしまいます。これは、兄を追い詰めてしまったと自分を責めた末の衰弱ではないかと私は思っています。
結婚して間もない夫が、義兄の死によって半年後に死んでしまった。
こうなると、いよいよヨハンナはゴッホの姓を捨て、別の人生を歩んでもだれからも文句は言われません。

ですが、ヨハンナは義兄の絵と、兄弟がやり取りした膨大な数の書簡を保管しました。
色あせないよう、傷がつかないよう。それは、現存していた絵をみるだけでも、大事に守られていたのが分かります。
もしかすると、ゴッホが死の間際に、少しだけ雑誌で話題になったのも関係して、「少しはお金になるかもしれない」という考えも、彼女にはあったかもしれません。
でも、きっとそれだけではないのではないでしょうか。テオの遺言を守ったのかもしれないし、テオが人生をかけて守った義兄の絵を、自分の代だけでも守ろうと考えたかもしれない。
なんにせよ、ヨハンナが保管することを選ばなければ、ゴッホの絵はここまで日の目を見なかったかもしれません。

うつくしいアイリスの絵。
アルルの花咲き乱れる庭。
懇意にした娼婦とその娘の肖像。
世話になったカフェの奥さんや郵便配達の男性の肖像。

わたしの知らなかったゴッホは、不器用だから絵の具に自分の命もけずって入れちゃったんじゃないかと感じるほど、孤独と与えられる愛情のせめぎあいで苦しみながら絵を描いた人。
自分の価値観に妥協せず、絵を卑下することはおそらくしなかったんじゃないかな。

今は、なんとなくじゃなくて、ゴッホの作品の中にはっきりと好きな作品があるんです。
それが嬉しいな。



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Author:金田左右
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